嫌な貰い物

人からの貰い物は大体において持て余す。

 

知人で年初に毎回干支の置き物をくれる人がいるが、邪魔でしかない。

 

仕方なしに玄関先へ飾ってみるも、松の内も過ぎればもうお役御免だ。次に日の目を見るのは干支が一周するときだが、きっと向こうはまた同じ置き物をくれるに違いないのだ。微妙なチープさで、メルカリでも売れまい。

 

食べ物をくれる人もいるが、これも悲劇だ。

 

相手の体形を見てこれはちょっと怪しいなと思っていると案の定、こちらは甘いものを忌避していると公言しているにも関わらず砂糖をどっさり使った揚げ菓子などを大量に寄越す。

 

これらは早々に横流しと相成るが、「美味しかった?」とあとでたまに聞かれ、後ろめたくも「ええ」などと答えねばならぬ。なぜか向こうは満面の笑みで、「もう要らない」とは言えないのだ。

 

かように、貰い物というのはこちらの負荷を一切考慮せぬ無神経極まりない暴力行為であり、相手は善意であるがゆえに放っておくとそれがエスカレートする傾向にもある。

 

これがAmazonギフト券などのようないわば金券であれば自分の好きな物を買えるのにといつも思うが、勝手に音楽好きと見做されてiTunesカードのように自分にとって不要なものを貰い、こういった場合も非常に始末が悪い。

 

形は変わっても人のあげたいもの、求めるもののミスマッチは永遠に終わらない。持て余し、ストレスを抱えることのないよう、換金できる手段を持っておくことが重要だ。

 

(↓ ↓ ↓ いつか絶対使うから見ておくこと。なんなら安く買う側に回れる)